駒込日記

外国語の思い出

(2008/12/03 Wed)
amebloのお題で「これから学んでみたい外国語」というのがありましたので、書いてみました。私の場合、いつも過去の話です。
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今までの人生で外国語を真剣に学びたいと思ったことが実は3度あります。

一度目は今から36年前大学生の時にビル・エバンスとスエーデン出身の女優モニカ・ゼットルンドの「ワルツ・フォー・デヴィー」を聴いた時。彼女がスエーデン語で歌うのを聴いた時に、すっかりとりこになりました。実際にスエーデン語を聞くと歌うように聞こえるのです。

でも

結局、それはそれ、しばらくして挫折しました。

次にインドネシア語、新橋にあるインドネシアラヤに毎朝勉強に通いました。インドネシア独立の時に助けた中島社長自らに習いました。トアンと呼ばれていた中島さんの魅力に惹かれて本気で勉強しましたが、大学の勉強が忙しくなり、断念。文法は簡単でしたが、今では、食べるという意味の「マカン」とありがとうの「テレマカシー」ぐらいしか覚えていません。食事済んだが「スンダマカン」だったような。ちなみに「トアン」とはミスターの意味です。

そして、これは多少ロマンスが関係してポーランド語。ポーランドがまだ東側だった時に、ワレサの連帯の運動が起こりました。それの学生組織もできて、西側ヨーロッパ各地をアピールしていたのですが、ポーランド政府がある日突然戒厳令を敷き、海外にいたものは帰国できなくなりました。

それで、その学生を日本によぼうということになり、私はその接待役を務めたのです。その時の一人がアンナという女性。歳もほとんどいっしょだったこともあり、すぐに親しくなりました。会話は英語。私も彼女も一応話せましたが、ポーランド語を習いたいと思うようになり、いろいろと教えてもらいました。

最後に別れる時、もしポーランドに戻って、自由が制限された時に連絡が取れるようにコードネームを決めておこうということになり、「アンカ」と決めました。その後民主化が進み実際には使うことはありませんでしたが、やはり強烈な思い出です。

一緒に原宿のライブハウスなどをわたり歩きました。

ジンダブレ、ありがとうという言葉はいまでも覚えています。

これも20台の思い出です。

その後30台でインドにボランティアでいった時に、現地のグジャラティ語を教科書も何もなく、子どもから身振り手振りで習ったのも印象深いですね。

絵で書いて、「これなんていうの」とやるのですが、それがほんとに楽しかったです。インドってなんと800ほどの言語があるそうです。隣村はまったく違う言葉を話していて、お互いにあまり通じないのです。日本から来たというとインドの中の北の方かという感じで、彼らはすべてがインドなのです。どうも、日本のことをネパールあたりと理解したようです。うそのようなほんとの話。

えっ、お題はこれから学びたい外国語ですねえ。

はい、もっとまともに英語をしゃべれるようになりたいかな。

以上

実は大学一年の最初の自主ゼミでポルトガル語を取りましたが、結局さぼりまくり、これもものにならず。正課ではドイツ語を取りました。これは大学院の試験でもありましたので、結構まじめに勉強しました。白水社のドイツ語単語帳2000を例文ごと頭から覚えました。あの本があれば、まだ思い出せるかも。



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「30歳の夏」 このエッセイであるところから賞をもらいました。

(2008/09/17 Wed)
「あの夏の日」

いつものようにネットでニュースをチェックしていて、『「青春18きっぷ」のオススメプラン+裏ワザ!(R25) - goo ニュース』という記事を目にしました。

「青春18きっぷ」と「裏ワザ」というキーワードを見ただけで、24年前にワープ。鮮やかにあの夏が広がりました。

30歳の夏です。

春、それまでいたある組織を飛び出しました。学生時代から10年間青春のすべてをかけた組織から離れたのです。ほとんど何も持たずに出ましたので、そのまま貧乏生活に突入。それでも、もう組織はまっぴら、マネジメントなしで、自分のアイデアを形にしたいという思いが強かったので、就職はせず、安いアパートを借りて、個人の企画事務所をはじめました。

ちょうど、富士通の個人向けワープロ「オアシスlite」が発売になった年でもあったので、丸井のクレジット(まだ月賦といっていたと思います)で購入。それで企画書を書きまくり、ネーミングを考え、コピーを作る。そういうことを必死にやり、なんとか、かんとかやってやっていました。少し出来たお金で故郷である鹿児島に帰るために購入したのが「青春18きっぷ」でした。それまで心配をさせてきた両親への謝罪の旅でもあったのです。

夜10時53分東京駅発大垣行きの夜行の普通電車に乗ります。「青春18きっぷ」は5枚つづりで一日が1 枚。当時いくらだったか忘れましたが、小田原あたりまで普通の乗車券を買います。その方が一枚の料金よりも安いわけです。実は1982年の「青春のびのびきっぷ」で発売され翌83年に「青春18きっぷ」に名称変更、1984年、つまり私が旅をしたまさにその夏に10000円一日券5枚つづりという形になったようです。

今は「ムーンライトながら」という立派な名称がありますが、当時は列車に名前はなく、普通電車でした。現在、全席指定なのですが、その頃は、自由席。かなり混みますので、早めに東京駅に駆けつけました。そして、なんと、liteとはいえ決して小さくも軽くもないオアシス liteを持って旅行したのです。休んでいたら、すぐに干上がってしまう経済状況で、休暇とはいえ、仕事をしなければならないという事情を抱えていました。

この電車に乗ると朝早く岐阜県の大垣に着きます。そこで朝食、そのまま、通勤快速に乗って京都へ、さらに快速電車を乗り継いで明石あたりまで一気にいきます。

将来構想をいろいろと練りながら、ワープロにまとめる。美しい須磨の海などをみながら、ボーとする。そんな自分の姿が映像として蘇ってきます。この時の、お金もなく心細いながら、新しい出発に何か心を躍らせていた心象風景も同時に思い出されます。

2日目の夜は広島県福山。泊まるところも決めてなかったし、お金も心もとないので、駅でビバーク。石油コンビナートのタンクの塗装をやっているという酔っ払いのおじさんが寄ってきて、夜通しいろいろと話をしました。

大きな石油タンクをロープ一本で上から降りながら塗装を塗っていくそうですが、シンナーにやられて、落下しそうになるという話。その命綱でもあるロープのことを「ボージンジャー」というらしいのですが、それを本当にそう呼ぶのか、酔っ払っていて、さらにシンナーにも犯されているおじさんの発音が悪くて私にはそう聞こえたのか、その後、気になって調べてみたのですが、わかりませんでした。ペンキのついた作業服は、普通の洗剤では落ちないので苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)で洗うというような話も聞きました。なんでも何人もの職人を使っている「親方」なので奥さんがそういうことをやると自慢げに話してくれるのですが、それも果たして今のことなのか、昔のことなのか霧の中。「親方」はこんなところで夜は明かさないだろうと思いつつ聞いていました。川でうなぎを採る話も数時間、そうこうするうち夜が明けました。

この話をいまでも覚えているのは、なぜか、そのおじさんに慰められたのです。人間はどんな状況でも生きていけるというようなメッセージを受け取ったのだと思っています。

徹夜すると、さすがに、電車の中で一日中爆睡。いつの間にか、九州に入り、夜遅く、鹿児島の実家にたどり着きました。その後のことは実はあまり記憶にありません。母が作ってくれた郷土料理の懐かしい味くらいなのです。何を話したのか、果たしてうまく親不幸を謝罪できたのか、覚えていません。

その時、ワープロとともに持ち歩いたのが文庫本と新書。岩波の『折々の歌』と新潮文庫だったかなあ。いまでもそのときに詠んだ俳句を覚えています。

夏しぐれ 旅の枕の 文庫本

ふるさとの 活躍を聞く 旅の空

あれから、24年、あのときの夏の情熱は残っているでしょうか、しばらく自らに問いかけてみます。


[選評]
文章力がある方だと思いますので、少し辛口に批評してみますね。

テーマが「夏の思い出」ということで、
読者がどれくらい、作者の思い出を鮮やかに共有できるかがポイントとなります。

映像なのか、匂いなのか、空気感なのか、ある心情なのか…。

このエッセイを読むと、
時間と空間の扱い方が、やや稚拙であるため、読者に負担を強いている点が残念ですね。

インターネットでは、紙媒体よりも、精読される率は低いので、
常に、読者の読みやすさとか、鮮明な情報伝達を意識しないといけません。

平たく申しますと、よどほ工夫しないと、最後まで読まれることは少ないのです。

もっと簡潔であっても、鮮やかな印象を読者に与える文章を書けるように思います。

30歳の夏に戻り、五感を開放して、感覚的に書くと、
読者はもっと臨場感を楽しむことができるのです。

シンプルな映像や情感を読者と共有しつつ、1つのテーマをどのように伝えるか、
そのあたりが、さらにステップアップするための課題になるでしょう。

これからまだまだ伸びる方だと思いますので、頑張ってほしいものです。

<追記>
実はこの記事が下書きです。
駒込日記:青春18きっぷの思い出



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桐で個人事務所プログラマ時代

(2008/09/13 Sat)
『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』という本を読みました。コンピュータの世界でいうギークとはプログラマーに与えられる最高の尊称で、たとえばperlを作ったラリー・ウォールやLinuxのリーナス・トーバルズとかrubyのまつもとゆきひろさんなどを指します。実は小飼弾さん自身がperlの開発に深く関わるギークの一人なのですが、その小飼氏がいろいろな人にインタビューした本なのです。もともと雑誌の連載をまとめたもので来日の機会を狙ってインタビューしているので、その都度テンションの高いものになっています。短期間にやっつけで素人のインタビューアーがまとめたものとはひと味もふた味も違います。



小飼弾のアルファギークに逢ってきた [WEB+DB PRESS plus] (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)




読み終わったので、中3になる私の息子の枕もとに置いておこうと考えていますが、要するにそんな本です。



私はその昔DOSの時代にデータベースソフトの桐でアプリケーションを作って販売していました。大学に進学する際に高校から厳封で提出される「調査書」の作成システムで高校毎に異なる課程を処理してオリジナルの調査書をつくるというもので全国の高校500校に販売しておりました。(そのおかげで学習指導要領には精通しておりました。)



その時代、ひとつのアルゴリズムを考えるために1日時間を使うというような生活を経験しましたので、もう一度あの世界に戻りたいという願望があるわけです。




こういう本を読むと改めて自分の中に眠っている情熱がなんであるのかを垣間見るようで、尋常ではいられません。



既に50を越えるとこの情熱はむしろ後輩達の教育に向かうわけで、その思いが息子の枕元に『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』を置くという行動に向かわせるわけです。(笑)



なお日本のギーク達のサイトをまとめたリンク集が「ギークなお姉さんは好きですか
−あなたにコンパイルされたい」の中にあります。合宿やってコンパイルしてみたい、なんてね。

【関連エントリ】
駒込日記:プログラマ時代


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青春18きっぷの思い出

(2008/08/27 Wed)
【コラム】 「青春18きっぷ」のオススメプラン+裏ワザ!(R25) - goo ニュース

そこで、今回は、毎年「青春18きっぷ」の特集をしている『旅の手帖』編集部(交通新聞社)に、お得な使い方について聞きました!

「オススメは、途中で一部フェリーを使いますが、東京湾一周ルートです。東京駅から総武線で千葉まで行き、内房線に乗り換えて館山へ。温泉に浸かってから浜金谷に戻り、金谷港から東京湾フェリー(片道600円)に乗り久里浜港、横須賀線で久里浜〜横須賀、と戻ってくる。千葉駅では駅弁、館山では温泉、浜金谷では海産物が味わえ、また横須賀は渋い飲み屋が多いので1日の締めにはぴったり。日帰りで十分ですし、18きっぷを使えば料金もお得です。また、富士山一周ルートもいいですよ。東京〜甲府〜下部温泉〜富士〜熱海〜東京、というコースすべて電車で行けます。ワインや温泉も豊富で、山も海も満喫できる。1泊 2日でぶらりと行くのもいいですね」

なるほど「青春18きっぷ」ねえ。これは使った人にしかわからない、ほんとに便利なきっぷです。かつては毎夏使ってました。

30歳になってすぐある事情でお金がなくてこれで鹿児島まで帰りました。夜11時24分東京駅発の夜行の普通電車で岐阜県の大垣まで行き、そこから朝の通勤ラッシュに遭遇しながら、快速電車を乗り継いで京都まで行きます。しばらく京都で遊んで、また快速に乗って、乗って夜には小郡くらいまでいったかな。駅で一泊して、始発に乗り、九州入り。そんな感じの旅を何度かしました。

お供は岩波新書か新潮文庫。シリーズで出ていた『折々の歌』が多かったかなあ。

自分でも

夏しぐれ 旅の枕の 文庫本

という俳句を詠んだりしながら。

こういう「きっぷ」があるからこそ裏ワザが生まれるのですね。私の青春の思い出でもあります。

確か東京駅で小田原くらいまでの切符を買わないと2枚消費してしまうのではなかったかなあ。うろ覚えですが。

<追記>
青春18きっぷで乗れる夜行列車
>東京22:53発に乗り、小田原からムーンライトながらに乗る場合は大磯で日付が変わります。新宿から小田原まで小田急を使う方法もあります。東京から小田原はJRで1450円、東京から大磯はJRで1110円、新宿から小田原は小田急で850円です。

今は全席指定になったのですね。しかも快速になり「ムーンライトながら」って名前になっている。でも残っているんですね。これを見てまた乗りたくなりました。



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